2021年8月20日金曜日

メソッドステーツメントもしくはコミットメント



あるアメリカの知り合いが「コッチに遊びに来るついでに自宅の木を切って」みたいなことを言ってて、面白そうだから話を進めていると、自宅の木であろうと勝手に自然に手を付けてはいけないらしい。どうやら自治体の許可がいるらしい。

その業者がちゃんと手入れ出来る業者なのか?のチェックが入るらしい。

話を聞くと、経験とか実績では無く、意識としてアーボリカルチャーを理解しているか?っていう調査っていうか、メソッドステーツメントを提出する必要がある。


自治体が施工計画書を要求し、その計画には予備の現場評価やサイトのパラメータを予め評価が必要で、なぜその施工方法を選択したかの明確な理由が必要になる。ってことは、下見に行く必要がある。その上で「コイツは大丈夫」と言う証拠が必要で、企業体の責任者のサインが要る。
それかインディビディアルなコミットメントがいるらしい。
何ぁんにも問題ないが、如何せん言葉が通じない。
しかも他所の国から労働力を招くには、それなりのESTAの申請が要る。

面倒臭い。ただ面白がって行って伐ることは出来ない。

これは国の方針と思っていたら、そうじゃなくニュージャージーの話だ。
合衆国だからかも知れないが、地方自治は完全に独立していて、どっちかって言うと、国の方針より地元の考えが優先される。

日本みたく、末端の田舎は市町村の方針に従い、市町村は都道府県の方針に従い、都道府県は国の方針に従うみたいな構図がない。
国や県がどう言おうと、我々は我々の考えが有るって、たとえそれが国や県の方針と整合性が無くても、この村は俺たちが頑張って守るんだっている意識が強いみたい。

国立公園や公共施設の敷地じゃなく、一般の民間の樹木に対しても、細かい方針がある。 元々東海岸はそれほど豊かな土地ではないし、ヨーロッパからの移民が入植してきた土地柄、砂漠や不毛な土地に、自分が育った地方の樹の種を植えて森が始まっている。
日本みたくその辺に勝手に育つ樹は無い。樹は人が手を入れて育てるモノらしい。
人間が手を入れるために明確な指針が在り、ヘンなことをすると他所から訴えられる危険もある。面倒臭いけどそれだけ自然や社会が成熟している。

日本の政府や自治体も、人間や社会のエゴだけで、木を伐ること=生産林業ではないし、伐ってしまえ!って動くことが、将来どういうことに繋がるかを考え始めるべきだよ。いつまでも豊かな暮らしが出来ると思わない方が良いよ。
自分の任期中に不祥事が起こらなければ良いという眼先のことだけで、行動して欲しくない。眼先のことだけじゃなく、7世代先くらいのことを考えて行動するべきだよ。

樹は伐ったら無くなるんだよ。日照や風向きや人間以外の他の生物のバイオセキュリティを意識するべきだよ。
最近多い災害だって、天災のように扱われてるけど、人災じゃないか?
虫が嫌い、気持ち悪いから、殺虫剤を撒くのだって、コロす事だよ。

熊が人を襲うとかカラスが人を襲うとか、だから熊やカラスを排除するのじゃなく、熊やカラスや虫の生活域に人間が入り込んでることを意識してワイズユースを考えるべきだよ。虫が居なくなってコンクリートだらけになった都会は、人が棲む場所じゃないよ。 反社会的勢力って言い方もなんだけど「他人に迷惑をかける」ってどういうことかね?誰から見て?他に迷惑をかけない生き方って、もうそもそも社会はならないと思うよ。人間が集まって色んな考えがあるから、そういう所の隙間を狙うのがいわゆる反社って呼ばれる人間で、社会があれば当然排除なんか出来ないんだよ。

人間の社会の不快や害を尽く排除した世の中は、快適にはならないと思う。
誰の快適?って話で、反社に対して擁護する訳じゃないけど、彼らは彼らの快適を純粋に突き詰めてるんじゃないの?熊だってカラスだって虫だってそれと同じだと思う。
不快や害と上手くつき合って行く方法を考えた方が自然だと思う。
土を踏まないで生活できる場所は、社会という人工物で隔離された場所でヒトらしい生活は出来ないんだから、熊やカラスや虫と上手くつき合う方法を考えた方が自然だと思う。

行政の上層部はおそらく現場のコトなんて関係なく、自分の保身のために過去事例以外のことをやりたく無い。ヘタこいたら運がなかったくらいのことしか思わないのだろう。そもそも想定できてないから、直ぐ不測とか想定外とか言っちゃうのはイメージ出来てない証拠だよね。自分にコミットメントする必要があるし、施工計画を状況と状態を意識できる他の誰か承認してもらう方がいいよ。名刺の肩書きなんてなんのコミットメントにならない。

0 件のコメント: