先日会った知人とちょっと信じられない話しになった。
「木登りを教えてそんなにお金とるんかい!」
そりゃそうだ!昔は誰だって素登りをやってたし、
そんなことで金を取ると思われたらビックリするかもしれない。
イタイやコワイを経験しているから、伝えられる知識もある。
生きてるからね。
正直言って技術を習得するためだけなら高額だと思う。
ベースに山や林業の技術があったりするとよけい、
道具の使い方や登り方だけ教えろという理屈になる。
そういう人ほど危険をナメている。
そして「俺は大丈夫だ」って言ったりする。
俺たちは安全に対する知識やデータを紹介し、
自分たちなりに噛み砕いて、そのロジックを教えているのだと
説明したところで、残念なことに理解してもらえなかった。
道具だって高いんだから、そんな講座でぼったくってるんじゃねぇ!って....
アートを目指している人にアートは教えられないけど、
デザインには教えられる方法論がある。
そういうこと解かんねぇだろな。
俺は山の技術も林業の技術も無く、
単純に昔登った木登りを、歳を重ねてから、楽に登る方法はないかと
ツリーイングに行き着いた。
だから逆にロジックありきでメソッドを受け入れられたのだろう。
そして盲目的に受け入れるのではなく、
いろいろ考えて実践してみたりする。
しょうがないのかもしれないが、
危険に対する認識は各々違うし、それは自分だけのモノで
共有できる認識ではない。
弟子が親方から盗んで相伝していくことには、
根拠が曖昧なことが多い。
経験則ではその個人以上のものになりにくい。
そしてその弟子が盲目的に他の親方のやり方を否定したりする。
例えば見よう見まねである程度のことはできると思う。
インターネットもあるしね。
でもそれじゃ伝わらない部分や
多分こうだろう?なんてやっている場合もある。
でも、行きたい所まで行くためには
よほどの天才か命知らずじゃなければ行けない領域もある。
道具に対しての認識も「高い」で、
そんな高いもの必要ないとか、これで大丈夫じゃネ?なんて
自分の安全を「安い」ものにしていく。
イチマンエンけちってイッショウ台無しにしたくない。
俺じゃないからイイけどさ。
もっとも、それが本当に安全なら問題はないが、
裏打ちされたモノがないことがほとんど。
そういう大丈夫じゃネ?の積み重ねで事故は起きるものだと思う。
一瞬で死ねる技術。
死を意識しつつも死にたくはないからね。
メメントモリ。死を意識するから安全な方法をとるのだと思う。
ぼったくりの敵と考える人もいるが、木登り仲間を殺すわけにはいかない。
今、事故を起こすわけにはいかないのだ。
ツリーイングに対してまだまだ高いって認識が多いんだろうな。
俺はこれだけのことを理解できたら安いと思うのだが....
まあ「その程度の技術」と考える奴らが気軽に考えて事故が増えるより、
敷居を高くしておいた方が安全だけれど。
今週末から内地に行く。
そしてまた、頭がパンパンになるほどいろんな事を知るんだろうな。
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