2011年11月30日水曜日

knowledge gaps

気に入っているブログに、ニュージーランドのツリーツールズがある。
-----別に宣伝するわけではないが、でもいろんなコトが話し合われていて、
(ggogle翻訳頼りなので)半分も解らないのだけど。-----

ここでBPGが発売された旨紹介されていて、
(「ベストプラクティスガイドライン」こういうの誰か作って〜)
BPGの必要性の中で、
簡単に世界中の情報が手に入る今の危機みたいなことが言われている。
a little bit of knowledge can be a dangerous thing.
だそうです。innocentlyだよ。
いい面もあるが、ダークサイドは恐いよ〜、

言語の取り違いのような危険もいっぱいはらんでいる。
バルドタントレッセがいい見本みたいな、私もまったく勘違いしてましたし、
そういう経験もあり、私は恐くて仕方がないの。
鼻息粗く「誰かが言っていた!」なんて無茶なコトをする人がいるが、
それは「誰かが言っていたことを都合よく私が介錯した」だと思う。
そしてその「誰か」にはなりたくない。

いつか事故が起きるのは当然だけど、
ソレが私の周りで起きないこと。これだけが最重要課題で、
だからいろいろやる前に考える、常に考える、都合良く捉えない。
コレは自分に対しての戒めです。

斯く言う私もそういう情報を手にして、あーだこーだ言ってるし
ココで書いたりしてるのでエラソーなことは言えないのだが。
自分では、情報は劣化しないけど、考えはどんどん進化も劣化もすると思う。
いい加減だったり、知識が足りなかったりするコトもある。
時間の経過で変わってくる考えと、
そこでその時点でどう捉えていたのかの比較が重要で、
ブログはそのための備忘録だと捉えている。

先日「前の人がなぞった線を同じようになぞる」伝言ゲームを
500人でやったらエライコトになったという記事を見た。
まさしくこんな感じで、自分の都合よく情報を捉えたり、
作為的に歪曲されたりするので、情報は自分で考えることが重要だと思う。

これも先日Eテレの白熱教室で「安全と安心」というテーマの話しがあり、
Safetyを和訳すると安全になるのだが、
欧米の「Safety」はリスクテイク=リスクを知った上でとる行動 で
日本語の「安全」は危険がなく安心なこと になってしまっている。
リスクは排除され(目をつむり)なかったことになっている。
一般的日本人の考える「安心」という言葉は基本的に日本以外に無いらしい。
だから声高に安心安全なんて言われると、胡散臭くてしょうがない。

at on your risk という考えが当たり前なので、
情報を噛み砕いて消化して反芻しないとダメなことを意識して行動する。
自分では、カラビナのゲートを空ける前に常に
「俺には2人の子供とカミさんがいる」って唱えるようにしてます。

「役割」を果たすことが目的ではなく、業界全体が「機能」するために、
利害を共有し協力し合えるようになればいいなぁ。

0 件のコメント: