2021年3月2日火曜日

渋滞学



作業も考えも善き方向に向うために
渋滞してはイケナイ。

余裕がないと良い考えにはならないよ。
対自然でも、対チームでも、
利他的に物事を組立てないと
渋滞しちゃうよ。

他人の意見も聞いたり、観たり、
自分にとって有効なタスクは
恐らく他にもある。
決めつけは良くない。
視野が狭いと失敗もする。

渋滞学という考え方が有って、工場などを100%システマティックに稼動させ無駄を省くと、生産性が落ちるらしい。
バケツリレーで数理モデルの解析ではバケツの水の量を70%とした場合が最も効率的になるらしい。一定の条件でそのタスクを完璧に100%適応させて無駄がない運用をすると、条件のパラメータが変化した場合に急に不安定になる。環境が変わってもそこそこ対応できるようにしておく方が、トータルコストが少ない可能性が多い。
工場では、機器のメンテナンスや新製品の開発も出来なくなり、ブルシットジョブに徹すると長い眼で見て効率が悪くなり、破綻する。
無理に最適を狙って邁進しない方が有効な対策と言える。

渋滞学では車間距離が40mがボーダーラインだそうで、それ以上車間を詰めるとスピードが落ちてしまい、その状態が後に伝播し増幅して伝わり、結果十数台後の車は停まってしまう。そうして渋滞が生まれるそうだ。またスピードを出して車間に無理やり割り込むと、同じ現象が起きて早々に渋滞が生まれる。
つまり急いでいるからといって車間を詰めれば詰める程、時間辺りの交通量は低下するってことは、急ぐ程に結果が遅くなるってことですね。

また無駄を徹底的に排除し、短期的視点で最短で効率イイと思うことでも、有事には殆ど対応できない。
完璧に無駄を省き、最適に訓練されたチームでも、緊急時にまったく同じことが出来ず、余白の無いタスクがパラメータによって遅くなる。
だいたい実際は緊急時なんだから、パラメータを予測して行動できる、緊急時に対応できる組織が一番良いに決まってる。
完璧に無駄を省き、最適に訓練されたチームは、運動会で勝つことは出来ても、実際は役に立たないんじゃないか?

私は仕事で、まあ40%くらいの仕事しかしない。というか力を出さない。
元々体力的にも利が有る訳じゃないから、無理矢理に力を出すとその後がボロボロになる。動けなくなる。結局チームの足を引っ張ってしまうので、出さないようにしてる。
精神的にも、力一杯出しちゃうと、視野が狭くなって、不測のパラメータを予見できなくなってしまう。
立場上不測のパラメータに対応できないと意味が無いので、その余裕のためにも、残りの60%を救助や善き方向のアイデアに使おうと思う。

限界ギリギリまで力を出しちゃう人がチームに居たら、なおさら力を出さない。
力出してるなぁって人は見ていて判る。その人に余裕が無いのが見え見えだから、よく「大丈夫ですか?」って聞くんだけど、大概「大丈夫です!」って直ぐ答えちゃう。そういう人にワイズアイデアを提案したりしたいのだけど、直ぐに大丈夫と答えてしまう人は、何が大丈夫かも判ってないことが多いから、危険が無い限り放っとくのだけど、恐らくそれで作業が渋滞したり、効率が下がるのなら、敢えて一旦手を止めさせて、視野を広げてもらう。

私に「大丈夫ですか?」って聞かれたら、それはなにか大丈夫じゃないコトが有るから声を掛けてるんですよ。
もしそのまま力を出し切っちゃうと、不測のパラメータに対応できなくなるよ。
100%作業に集中して、120%の力を出す人は、終わったらもうカスしか残ってないから、トラブったらオシマイだよ。
100%作業に集中してると、周りの声が聞こえなくなるよ。
自分で考えたシナリオしか考えられなくなってるから、不測の事態に対応できない。

救助に行くのは面倒臭いから、大変だから、疲れるから、危険が増すから、仕事が停まるから、作業が滞るから、イヤだからシツコク救助のプラクティスを繰り返すのだよ。

救助に行きたくないから、救助の勉強するんだよ。
意味ない自信や経験則に頼る無謀が、私に余計な時間を取らせて、タスクが遅くなるのがイヤだから、シツコク救助のプラクティスを繰り返すのだよ。

そして100%作業に集中して、120%の力を出す人は、終わったらもうカスしか残ってないもんね。

帰りの車で居眠りするかもしれないよ。
帰っても疲れきってるから、勉強も出来ないよ。新しいコトも覚えられないよ。
酒飲んで面白オカシイYouTubeを眺めるのが関の山だよ。

頭の中と行動が渋滞したら、辛いだけだよ。

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