私は犬より猫の方が好きだ。
小さい頃巷には野良犬が一杯居て、何度も噛まれた経験から犬より猫の方が好きになったのだろうけど、単純に生き物として生態として犬より猫の方が好きなだけ。
でも正直言って、凶暴に唸ってる時も、撫でて〜ってすり寄ってくる時も、ちらっと見せる周囲を伺うのも、犬は嫌いじゃないんだけど、あの訴えかけるような目線が苦手だ。
同じ感覚を猫には感じないだけで、比較するのもなんだけど、やっぱり猫が好き。
犬は苦手なだけだけど、あるカテゴリーの飼い主は嫌いだ。
あるカテゴリーの犬の飼い主は、世の中みんな犬好きなんだろうと思っているフシがある気がする。それを強要されるのが嫌いだ。犬が嫌いな訳ではなく、飼い主が嫌い。
防風林を散歩してると、コッチは双眼鏡を持ってるんで遠くから近づいてくる犬散歩人を見かけると、すぐに防風林に逃げ込んで気づかれないように隠れる。
犬散歩人は犬のことは考えずアスファルトや林縁の道を歩くが、リードを持ってなかったら感の鋭い犬に気がつかれ、防風林の中まで思いっきり近づいてくる。
だいたいは人懐っこい犬だけど、時には目をヒン剥いてキバを剥き出しにして唸って来るコッチは恐怖で動けなくなってるけど「この仔は躾されてるし、人噛んだことはないんですよって」強要が気持ち悪い。名前を呼んで呼び戻そうとしても、飼い主の所に戻らない犬のどこが従順なんだ!
そこで何してるんですか?って余計なお世話だ!犬から逃げ隠れてるんだよ!犬三角の人間は、人間は道路を歩く、蛇や虫が多い林の中になんて入るはずがないって、犬には何も罪は無いけど、その程度のコントロールで従順だとか言わないでほしい。
小ちゃい三角形の頂点に居る飼い主と言うカテゴリーの人間がイヤだ。
犬は社会性を持ってる動物だ、なんて言われるけど、それが生き物として生きるために上下関係の組織を作ることと、誰かに飼われてる状態は別物じゃないの?
犬だって愛くるしい眼をしてクゥ〜ンなんて鳴いてても、それが頂点の証だなんて思ってる人間が気持ち悪い。ただの召使いの世話従弟だと思ってるかもしれないぜ。
その社会性って言うヤツを履き違えて、統制化に置いてると思ってる飼い主が信じられない。私はあなたの三角に入ってないし、世の中には犬が苦手な人だっている。
人間は皆同じ三角に入ってると思っちゃってる飼い主が嫌いなだけだ。
おおかた自分もそういう三角の中で生きてるだけなんだろうけど。
だいたい野生を躾ようとすることがおこがましいが、誰かに躾されてる人間は、そういう世間に捕われてる人間は、人類皆同じと思ってる。
「絆」とか言って、そうじゃない人を造反組とか言うし、絆を持たない人間は排除しようとする。自分らと同じじゃない人を虐める。
絆がブルシットジョブに向わせる。
私の好きなボーダーを描いたたなか亜希夫が、マンガの中で描いてたけど、絆って家畜を勝手に動けないようにつなぎ止める綱のことで、それこそ一般的に流通する結びつきとかホダシと丸っきり違うのね。
本当の意味がどうのこうのって言うことじゃなく、動けないようにガンジガラメにして、マスタースレイブにつなぎ止めて三角を大きくする、そういうのがまさしく絆で、この三角の構成員になることが最も適切って幻想を持ち持たせて、他の三角を認めないで虐める絆はやっぱり苦手だな。
多分恐いんだろうね。
自分の属する三角が最も有意義と感じたいんだろうね。
決して犬が嫌いな訳じゃ有りません。
フレンチブルドックとかジャックラッセルテリアとか特に大好きです。
そういう犬種を飼ってる人が好きなのかもしれないが、
チワワとグレートピレニーズが同じ種類ってのも気持ち悪い。
人間の希望に合わせてブリーディングしようとする行為が嫌い。
人間が自分たちの都合で仲間を集めて、三角形を作って大きくする行為が気持ち悪い。
それがさも正しいことのように押し付ける人間が気持ち悪い。
幾ら三角形を大きくしても、基本的に一代だから長くても40年か?
年功序列だって、年の功で良い番頭さんが居てマスターになるなら良いけど、
世襲で続けたってせいぜい100年くらいじゃないの?
ナンバー2がその三角形をガラガラ崩すかも知れないし、崩されないように奴隷に教育しても、死んだらオシマイけどね。
会長職とか相談役とか、もういい加減にきっぱりここから居なくなれって思うけど、そういうヤツに限って権威とか地位とかにこだわるし、実績がモノを言っては困るから居なくなれって思っても、ぶら下がっちゃうヤツはとことんカッコ悪いね。
カイチョーって、怪鳥キングギドラか!
〇〇組織委員会の長が辞めたけど、
その人間にどれだけの功があったのだろう?
ただ鈴を着けるのが恐くて
誰も動かなかっただけじゃないの?
マスターを引き摺り下ろしたとしても、
結局組織を存続するから形状は変わらない。
マスタースレイブは
首のすげ替えが出来るけど中身が怪しいね。
どれだけ三角を大きくするかだけを
考えてるに人間は、スレイブをどれだけ
集められるかに関わってくるけど、
実働させるまで機能停止になるから
大変そうだね。
チームネットワークは、
一部に綻びが出来ても、
基本の方針は変わらず綻びを修理して、
すぐに善き方に向えるから良いと思うな。
日本人は特に、犬系の三角形に属する人間が多いと思う。生まれた時からマスタースレイブしか知らないだけで、マスタースレイブが当然と思い、それを他人に強要する。
他の三角形だって在るし、だいたい三角形じゃないタイプのネットワークだってあるのにね。チームワークにまで、基本マスタースレイブを持ち込もうとするから、腹が立つ。
三角形って、マスタースレイブって言うけど、スレイブって奴隷って意味だからね。
奴隷が当たり前になっちゃ、オシマイだね。
三角形は、ポジショニング三角とリギング三角だけでイイや。
2021年2月28日日曜日
2021年2月27日土曜日
客体的
まだ若い頃に、田舎で育った私はデザインって何のことか判らなかった。
育った環境として、良いモノは良い人のマネだったし、自分の表現を何かで行うことが疎まれてた時代だし、誰かに褒められる為に行われてた表現が気持ち悪かった。
リンゴは赤いだろう!とか、壁の色は灰色だ!なんて言われ続けた。
紫のリンゴや黄色い壁は否定し続けられた。
そしておもねって赤いリンゴを描くとセンセに褒められ、何とか市長賞とか貰えた。
でもそんな賞が欲しかった訳でもなく、俺は紫色のリンゴの方が好きだった。
他人にどう評価されようが、おかしな考えの人だと思われようが、それが個性でアートだって今になれば大きな声で言えるけど、当時は世間では赤いリンゴなんだな、面白くない世界だなって思っていた。
高校では美術を専攻していなかったのにも関わらず、美術準備室に入り浸り、美術の先生の話を聞くのが好きだった。その先生はリンゴは赤くなくても良い!って、表現は自由であっていい!と言う人で、W大学出身で(早稲田じゃないよ)ソコに行きたいと思ったが、その時は頭も経済的にも敵わず行けなかった。
親は公務員になれ!って、方々に手を回すし、そんなアリテイの生き方はまっぴらだし、赤くなくていいリンゴが集まる世界を見たかった。その近道がデザインだった。
そして一刻も早く
リンゴが赤い人たちから逃れたいと思い、
デザインの専門学校で札幌に来ると、
周りでは、リンゴは赤くなくても良い
人ばかりで、オカシな連中が多く
「ああ、オカシなことを言っても
ヤッても良い世界」なんだと、
解き放たれた。
観る物聞く物新鮮で、そんな中、
同級生が持っていた[流行通信]という
雑誌を見せてもらい、
まあ当時のハイセンスなグラフィックが
花咲いてる雑誌だった。
その中でコラムを持っていた
粉川哲夫という人が居て、
そのコラムがとてもシンパシーを感じ、
もうすっかりファンになった。
その後ある友だちが通っていたW大学でその粉川さんが教授をやってることを知り、今ではもう時効だろうから言っちゃうけど、潜り込んで何度か授業を受けた。当時の大学というかその社会人間学みたいなゼミではいい加減というか、構内の原っぱに集まって出入り自由で出欠も無く、簡単に潜り込めた。
ソコで客体と主体、客観と主観みたいな話を非常に面白く聞けた。というか当てられて受け答えが出来たし、個人的にも話が出来た。
ひょっとしたらソコでは私のようなモグリの学生が沢山いて、粉川さんはそのことを知っていて、敢えて当てられた気もする。
なんか一般的には主体と客観が相対する物のように思われている気がするが、
主体は[私は…、I ]で
客体は[貴方自身の私は…、YouのI ]で
主観は[私の…、Me ]で
客観は[我々の…、We ]で、
更に客観には、利害関係がある我々Weと、利害関係の無いあなた達Theyがある。
だから俯瞰 Bird’s-eye viewが、出来るのと出来ないのでは大きく話が違ってくる。
みたいな話を伺った。
その時はカバンから黒電話の受話器だけを取り出して、あるサークルの2人が電話で話をする関係が主体vs主体で、その関係は順次入れ替わる。A主体が話をしているとき、B主体が「A主体がコウ考えているであろう」ことを想像することが、Bにとっての客体だ。
そしてその電話の会話を周りで聞いている同じサークルの友だちが、客観になる。
だから客観と客体は違うと言うような話。
そしてそのAvsBの話に興味が無い人と自分の利害関係に当たる人が居ると、更に関係が複雑になるので、冷静にこれを判断する必要がある。
自分のことは自分で考え、YouのIを想像してBird’s-eye viewで判断した方が良い。
「普通とか一般的」とか言うヤツのことは信用するな!って言われた。
私のベースにはあの時の感覚が色濃く残っている。
それはデザイナーとしてもディレクターとしても、とても良い影響だ。
何かを売りたいとか、世間の注目を集めたいと言ってる誰かのために、その人間が望む形を提示できるようになった。
商売としての感覚はそのとき培った知識で、世の中は単純だ、プロパガンダは簡単だという良からぬ感覚で生計を立てていたが、あるときそういうデザインを、大きく宣伝されるウソに嫌気がさして、もっとシンプルに良いことを伝える手段としてデザインを活かしたいと思うようになった。
「今売れてますよ」「人気のイベントですよ」なんて言うことを、宣伝文句にする広告はどこかにウソが潜んでる、そういう嗅覚が鋭くなった。
まずは俯瞰して、胡散臭そうな部分を純粋化して、客体と主体で考えて、主観で実践してみると、なんとなく感じる物が有る。
なんでこんなに安いの?って物には必ずカラクリが有る。
実質無料とかポイントが堪りますよ!って訴えてる物には、三角形の頂点にとって都合の良い他に利益を生む部分があるからソウしているのだって思ってしまう。
年功序列で三角形の頂点に就いた人には何の魅力も感じない。
まあ何を言ってるかというと、相手が思ってるであろうことを想像して自分なりに判断することと、相手が本当に思っていることは違う。
そしてブが悪くなると「普通とか一般的」って客観視するように見せかけて、自分の利害関係を優位に持ち込もうとするのは、客体的に物を考えてない証拠だ!そういう議論には客体が居ないから争いになることが多いから、しっかり一歩引いて、俯瞰で物を考えるようにしよう。
だから普通とか一般的って言う人のことは、WeとThey をしっかり見極めないと怪しい宗教的な物事に巻き込まれる恐れが有る。
大きな組織や団体は、三角形の頂点の自分の利害関係でしか物を考えない、ほんの一部の考えかもしれない。
そしてその三角形を普通とか一般的とかに見せることで、自分の力や考えを立派に見せ、三角形の底辺を広げて、益々自分の利を拡大し、妄信的に信じ込ませる都合の良いマスタースレイブ方式だ、それは宗教以外の何物でもないと思う。
リンゴが赤い人間にとっては、三角形がラクなのかも知れないが、ラクして普通や一般的を掲げて、リンゴが赤くない人を巻き込まないでほしい。
私も含めて、ある人がコレは良い考えだ、良い方法だ、良い道具だ!なんて言っても、
客体的に物を考えないでいると、壺や水を買わされてるのと一緒だ。
客観視しているつもりでも、それはWeかTheyで大きく分かれるし、
客体で考えて、俯瞰で判断しないと、みんな大きな三角の頂点の犬になっちゃうよ。
育った環境として、良いモノは良い人のマネだったし、自分の表現を何かで行うことが疎まれてた時代だし、誰かに褒められる為に行われてた表現が気持ち悪かった。
リンゴは赤いだろう!とか、壁の色は灰色だ!なんて言われ続けた。
紫のリンゴや黄色い壁は否定し続けられた。
そしておもねって赤いリンゴを描くとセンセに褒められ、何とか市長賞とか貰えた。
でもそんな賞が欲しかった訳でもなく、俺は紫色のリンゴの方が好きだった。
他人にどう評価されようが、おかしな考えの人だと思われようが、それが個性でアートだって今になれば大きな声で言えるけど、当時は世間では赤いリンゴなんだな、面白くない世界だなって思っていた。
高校では美術を専攻していなかったのにも関わらず、美術準備室に入り浸り、美術の先生の話を聞くのが好きだった。その先生はリンゴは赤くなくても良い!って、表現は自由であっていい!と言う人で、W大学出身で(早稲田じゃないよ)ソコに行きたいと思ったが、その時は頭も経済的にも敵わず行けなかった。
親は公務員になれ!って、方々に手を回すし、そんなアリテイの生き方はまっぴらだし、赤くなくていいリンゴが集まる世界を見たかった。その近道がデザインだった。
そして一刻も早く
リンゴが赤い人たちから逃れたいと思い、
デザインの専門学校で札幌に来ると、
周りでは、リンゴは赤くなくても良い
人ばかりで、オカシな連中が多く
「ああ、オカシなことを言っても
ヤッても良い世界」なんだと、
解き放たれた。
観る物聞く物新鮮で、そんな中、
同級生が持っていた[流行通信]という
雑誌を見せてもらい、
まあ当時のハイセンスなグラフィックが
花咲いてる雑誌だった。
その中でコラムを持っていた
粉川哲夫という人が居て、
そのコラムがとてもシンパシーを感じ、
もうすっかりファンになった。
その後ある友だちが通っていたW大学でその粉川さんが教授をやってることを知り、今ではもう時効だろうから言っちゃうけど、潜り込んで何度か授業を受けた。当時の大学というかその社会人間学みたいなゼミではいい加減というか、構内の原っぱに集まって出入り自由で出欠も無く、簡単に潜り込めた。
ソコで客体と主体、客観と主観みたいな話を非常に面白く聞けた。というか当てられて受け答えが出来たし、個人的にも話が出来た。
ひょっとしたらソコでは私のようなモグリの学生が沢山いて、粉川さんはそのことを知っていて、敢えて当てられた気もする。
なんか一般的には主体と客観が相対する物のように思われている気がするが、
主体は[私は…、I ]で
客体は[貴方自身の私は…、YouのI ]で
主観は[私の…、Me ]で
客観は[我々の…、We ]で、
更に客観には、利害関係がある我々Weと、利害関係の無いあなた達Theyがある。
だから俯瞰 Bird’s-eye viewが、出来るのと出来ないのでは大きく話が違ってくる。
みたいな話を伺った。
その時はカバンから黒電話の受話器だけを取り出して、あるサークルの2人が電話で話をする関係が主体vs主体で、その関係は順次入れ替わる。A主体が話をしているとき、B主体が「A主体がコウ考えているであろう」ことを想像することが、Bにとっての客体だ。
そしてその電話の会話を周りで聞いている同じサークルの友だちが、客観になる。
だから客観と客体は違うと言うような話。
そしてそのAvsBの話に興味が無い人と自分の利害関係に当たる人が居ると、更に関係が複雑になるので、冷静にこれを判断する必要がある。
自分のことは自分で考え、YouのIを想像してBird’s-eye viewで判断した方が良い。
「普通とか一般的」とか言うヤツのことは信用するな!って言われた。
私のベースにはあの時の感覚が色濃く残っている。
それはデザイナーとしてもディレクターとしても、とても良い影響だ。
何かを売りたいとか、世間の注目を集めたいと言ってる誰かのために、その人間が望む形を提示できるようになった。
商売としての感覚はそのとき培った知識で、世の中は単純だ、プロパガンダは簡単だという良からぬ感覚で生計を立てていたが、あるときそういうデザインを、大きく宣伝されるウソに嫌気がさして、もっとシンプルに良いことを伝える手段としてデザインを活かしたいと思うようになった。
「今売れてますよ」「人気のイベントですよ」なんて言うことを、宣伝文句にする広告はどこかにウソが潜んでる、そういう嗅覚が鋭くなった。
まずは俯瞰して、胡散臭そうな部分を純粋化して、客体と主体で考えて、主観で実践してみると、なんとなく感じる物が有る。
なんでこんなに安いの?って物には必ずカラクリが有る。
実質無料とかポイントが堪りますよ!って訴えてる物には、三角形の頂点にとって都合の良い他に利益を生む部分があるからソウしているのだって思ってしまう。
年功序列で三角形の頂点に就いた人には何の魅力も感じない。
まあ何を言ってるかというと、相手が思ってるであろうことを想像して自分なりに判断することと、相手が本当に思っていることは違う。
そしてブが悪くなると「普通とか一般的」って客観視するように見せかけて、自分の利害関係を優位に持ち込もうとするのは、客体的に物を考えてない証拠だ!そういう議論には客体が居ないから争いになることが多いから、しっかり一歩引いて、俯瞰で物を考えるようにしよう。
だから普通とか一般的って言う人のことは、WeとThey をしっかり見極めないと怪しい宗教的な物事に巻き込まれる恐れが有る。
大きな組織や団体は、三角形の頂点の自分の利害関係でしか物を考えない、ほんの一部の考えかもしれない。
そしてその三角形を普通とか一般的とかに見せることで、自分の力や考えを立派に見せ、三角形の底辺を広げて、益々自分の利を拡大し、妄信的に信じ込ませる都合の良いマスタースレイブ方式だ、それは宗教以外の何物でもないと思う。
リンゴが赤い人間にとっては、三角形がラクなのかも知れないが、ラクして普通や一般的を掲げて、リンゴが赤くない人を巻き込まないでほしい。
私も含めて、ある人がコレは良い考えだ、良い方法だ、良い道具だ!なんて言っても、
客体的に物を考えないでいると、壺や水を買わされてるのと一緒だ。
客観視しているつもりでも、それはWeかTheyで大きく分かれるし、
客体で考えて、俯瞰で判断しないと、みんな大きな三角の頂点の犬になっちゃうよ。
楽しいタスク
今年の冬は例年にも増して雪が多い。
作業的には疲れてウンザリするが、ココに住んでるからには雪かきを楽しみたい。
以前に北海道でも有数の豪雪地帯にある記念館に勤めている和歌山出身の友だちが居て、彼は雪かきする為に学芸員になった訳じゃない!ってボヤいてた。
そうだよね。毎日雪かきしかしてない学芸員って、意味が判らない。
でもココに住んでるならもれなく雪かきが付いてくるから、楽しまなきゃって言った。
とても重労働だし、毎日毎日だし、
完璧にやっても、翌日は元の木阿弥だし、
生産性がない作業だから、辛いと思う。
辛い作業で本来の目的と違ったら、
イヤになるのは当然だけど、
風土に合わせて生きるとすれば、
受入れて楽しくするしかないと思ってる。
お、今日もまたいっぱい降ってるね!
喜んで!戴きます!って
今日はどんな料理にしてやろう、と
結論ありきじゃなく過程を楽しんで。
なにも最初から完璧にするこたぁ無い。
出来るとこから楽しみながら始めて
徐々にクォリティを上げていけば良い。
例えば上に立つ人は地元で何十年も生きてるから、小さい頃から培った知識と技術があるから、除雪に関してはプロ並みかもしれないけど、暖かい所出身の人に対して自分と同じクオリティでヤレって時間切ったり、自分が出来る事をさも当然のように要求するのは、戴けない。そして自分もハナっから結果ありきで完璧にやろうとするから、疲れるし、巧くいかないし、時間かかるし、あ~俺何やってんだろう。って思ってしまうんだよね。
そして、オレが出来ることがなんで出来ないんだ!って言ったりする上司は、客体的に成れない頭の悪い人だよ。いや~〇〇さんは凄いですねぇ、私には出来ないです。流石です!とか言って、そういうトンチキをバカにして真に受けないでやり過ご方が良い。
最初は過程を楽めるように、楽しみを見つける努力をする方が良い。
竹ホウキだって、ジュウノだって、ジョンバだって、ママさんダンプだって、プッシャーだって、ソレ相応の使い方がある。
除雪機だって、ボブキャットだって、ホイルローダーだって、ソレなりの使い方がある。
腰を屈める道具には効果的に使う姿勢がある。
身体を軸にして回転運動で効果的に使う姿勢がある。
ただ押すのだって体幹を巧く使う腰の入れ方がある。
手道具を上手く扱えないで、いきなりホイルローダー乗ったら、そりゃ巧く行かないよ。
うちの前の道路の除雪も、同じ業者の同じホイールローダーが来ても、オペレータによって除雪の時間も質もまったく違う。ソコに生活する人の後々の手間を考えて除雪する人と、除雪は面倒なイヤな作業だけどカネをもらう為に仕方がないと思っているヤツでは、そのヤリ方がクォリティが全然違う。
マシーンを操作するだけでは、楽しい仕事にならないよ。
街中のマンションの玄関を除雪する人間をみたら、ああ出来てねぇなって思ってしまう。 除雪が嫌いで、イヤイヤやってるんだよね。
除雪が大変だからマンションに住むんだよね。
でもマンションでもその風土に合わせたら、イヤでも雪が降るからね。
なんか手ノコを巧く扱えない輩が、片手で枝に掴まって、トップハンドル持って、片手伸ばして、無茶な姿勢でテキトーな作業してるのと同じだな。
手ノコで効果的な姿勢を作るってのが、タスクを楽しく効果的に扱う基本だと思う。
昔、アメリカに研修に行ったとき、集合場所の公園で待ってたら、ハーネス履いたメキシカンとかプエリトリカンが集まってきて、ワイワイ皆で指差してレーザポインタで楽しそうに打ち合せしていた。暫くするとMEWP高所作業車がやってきて作業が始まった。
その後研修が始まり移動しちゃったけど、研修後にはまたその公園で解散だった。
帰ってきたら、ブロワー吹いてる人しか居なくて、あれっもう終わったんのかな?でも見た目にその1本のカシの木は何も変わってないや。でも道路の削りカス吹いてるし、ってよ~く観てみたら、ちゃんと剪定してるのね。
気持ち良く樹形を守って、透かして剪定してるのね。伐り口に癒合剤塗ってるから見た目に判らなかった。作業員が8人くらいで1本しか出来ネェのか!って思ったけど、
木の形がカッコいいのね。
枝を切り落す事じゃなく、街をカッコ良くするっていう自負があるんだろうな。
一緒に観ていた師匠も、彼らが頑張ってくれるから、この古い街は維持されてる、リスペクトするべき存在だって言っていた。
みんなが皆この美しい街を愛してる。
本来、街路樹は街の景観を良くする為に植えられるんだよね?
剪定はその景観維持作業だよね?形を整えるのが目的だよね?
皆が気持ち良く、街が美しくなるように植えられた木を、美しく整える作業だよね?
作業員は、そんな事考えてないかもしれないけど、自分の住んでる街を気持ち良く整える素敵な仕事だとプライドを持ってタスクをこなして居るんじゃないかな。
剪定は邪魔な枝をただ伐るだけじゃなく、街の景観を維持する心意気を持ってほしい。
プライドが有ったら、いい加減な施工はやらないで欲しいし「俺がこの街をカッコ良くしてやるゼ」っていう心意気を持ってほしい。自分の仕事に自信を持ってほしい。
日本では全然違うけど、あのアメリカの田舎町のワーカーは、多分発注者もその作業に景観維持の意識があるし、適切な発注やタスクをこなせる企業に依頼していると思う。
特にいい加減な輩が多い北海道は、コッコーショウとか開発局が、そういう意識を持ってないから、それにぶら下がる企業も「伐ればイイ」って業者が儲かるシステムだな。
車で道路を走ってても、ちゃんとした街路樹を見かけることがあまり無い。
飛び飛びに空いた浸透升や、ライオンズテールに成るであろう幹しか残ってないボッコの幹とか、明らかに受けてない樹皮がめくれた伐り口とか、走っててイヤな気持ちになる道路が沢山ある。
街の景観維持なんてこれっぽっちも見受けられない。
街路樹の意味があるのだろうか?
だいたい街路樹に相応しい木も植えられてないけどね。
文句が来たから、もう文句言われないように、手っ取り早くバッサリ逝くんだろうな。 業者だって景観を求めてない発注者なら、仕事が早く終わって儲かるように、バッサリ逝くいい加減な仕事になっちゃうんだろうな。
発注者だって、施工前中後の写真だけで判断するんだろうは。
少なからず街を愛している人は居ると思うが、思いたいが、
実際は行政も企業も作業者も市民も街を愛してないんだろうね。
そんな街で育った子供は、街に美しさを求めないだろうね。
美しい街を意識することは無いだろうね。
人工的なテクノロジーとかしか見えてないだろうね。
人工的な匂いを出してVRを使った森林浴とかしちゃうんだろうね。
美しい街の景観を維持しようと思ってないヤツが、思ってない儲け主義の業者に発注し、 作業を楽しいと思わない人が、美しい街を作れる訳がない。
除雪も剪定も、一度に完璧に美しくなんて出来ないよ。
楽しいタスクをこなしてたら、そのうち美しい仕事になるんじゃないか。
普段から美しい仕事を心がけてないと、楽しいタスクに成らないね。
美しくなるように心がけて計画して、タスクを現場で修正しながらやらないと。
第一の計画が片付けだけなら、伐れば良いだけだからね。
それが街を美しくするために必要なタスクなってないんだろう。
美しくするっていう計画を立ててないと、その場限りの面倒くさい作業だし、危ぶねぇ作業でも事故にならなかったらラッキーって、間違った作業慣行の経験則だけでいい加減な仕事を続けるんだろうな。
ただ雪かきしてても、そんなコトを考えてしまう。ビョーキだね。
作業的には疲れてウンザリするが、ココに住んでるからには雪かきを楽しみたい。
以前に北海道でも有数の豪雪地帯にある記念館に勤めている和歌山出身の友だちが居て、彼は雪かきする為に学芸員になった訳じゃない!ってボヤいてた。
そうだよね。毎日雪かきしかしてない学芸員って、意味が判らない。
でもココに住んでるならもれなく雪かきが付いてくるから、楽しまなきゃって言った。
とても重労働だし、毎日毎日だし、
完璧にやっても、翌日は元の木阿弥だし、
生産性がない作業だから、辛いと思う。
辛い作業で本来の目的と違ったら、
イヤになるのは当然だけど、
風土に合わせて生きるとすれば、
受入れて楽しくするしかないと思ってる。
お、今日もまたいっぱい降ってるね!
喜んで!戴きます!って
今日はどんな料理にしてやろう、と
結論ありきじゃなく過程を楽しんで。
なにも最初から完璧にするこたぁ無い。
出来るとこから楽しみながら始めて
徐々にクォリティを上げていけば良い。
例えば上に立つ人は地元で何十年も生きてるから、小さい頃から培った知識と技術があるから、除雪に関してはプロ並みかもしれないけど、暖かい所出身の人に対して自分と同じクオリティでヤレって時間切ったり、自分が出来る事をさも当然のように要求するのは、戴けない。そして自分もハナっから結果ありきで完璧にやろうとするから、疲れるし、巧くいかないし、時間かかるし、あ~俺何やってんだろう。って思ってしまうんだよね。
そして、オレが出来ることがなんで出来ないんだ!って言ったりする上司は、客体的に成れない頭の悪い人だよ。いや~〇〇さんは凄いですねぇ、私には出来ないです。流石です!とか言って、そういうトンチキをバカにして真に受けないでやり過ご方が良い。
最初は過程を楽めるように、楽しみを見つける努力をする方が良い。
竹ホウキだって、ジュウノだって、ジョンバだって、ママさんダンプだって、プッシャーだって、ソレ相応の使い方がある。
除雪機だって、ボブキャットだって、ホイルローダーだって、ソレなりの使い方がある。
腰を屈める道具には効果的に使う姿勢がある。
身体を軸にして回転運動で効果的に使う姿勢がある。
ただ押すのだって体幹を巧く使う腰の入れ方がある。
手道具を上手く扱えないで、いきなりホイルローダー乗ったら、そりゃ巧く行かないよ。
うちの前の道路の除雪も、同じ業者の同じホイールローダーが来ても、オペレータによって除雪の時間も質もまったく違う。ソコに生活する人の後々の手間を考えて除雪する人と、除雪は面倒なイヤな作業だけどカネをもらう為に仕方がないと思っているヤツでは、そのヤリ方がクォリティが全然違う。
マシーンを操作するだけでは、楽しい仕事にならないよ。
街中のマンションの玄関を除雪する人間をみたら、ああ出来てねぇなって思ってしまう。 除雪が嫌いで、イヤイヤやってるんだよね。
除雪が大変だからマンションに住むんだよね。
でもマンションでもその風土に合わせたら、イヤでも雪が降るからね。
なんか手ノコを巧く扱えない輩が、片手で枝に掴まって、トップハンドル持って、片手伸ばして、無茶な姿勢でテキトーな作業してるのと同じだな。
手ノコで効果的な姿勢を作るってのが、タスクを楽しく効果的に扱う基本だと思う。
昔、アメリカに研修に行ったとき、集合場所の公園で待ってたら、ハーネス履いたメキシカンとかプエリトリカンが集まってきて、ワイワイ皆で指差してレーザポインタで楽しそうに打ち合せしていた。暫くするとMEWP高所作業車がやってきて作業が始まった。
その後研修が始まり移動しちゃったけど、研修後にはまたその公園で解散だった。
帰ってきたら、ブロワー吹いてる人しか居なくて、あれっもう終わったんのかな?でも見た目にその1本のカシの木は何も変わってないや。でも道路の削りカス吹いてるし、ってよ~く観てみたら、ちゃんと剪定してるのね。
気持ち良く樹形を守って、透かして剪定してるのね。伐り口に癒合剤塗ってるから見た目に判らなかった。作業員が8人くらいで1本しか出来ネェのか!って思ったけど、
木の形がカッコいいのね。
枝を切り落す事じゃなく、街をカッコ良くするっていう自負があるんだろうな。
一緒に観ていた師匠も、彼らが頑張ってくれるから、この古い街は維持されてる、リスペクトするべき存在だって言っていた。
みんなが皆この美しい街を愛してる。
本来、街路樹は街の景観を良くする為に植えられるんだよね?
剪定はその景観維持作業だよね?形を整えるのが目的だよね?
皆が気持ち良く、街が美しくなるように植えられた木を、美しく整える作業だよね?
作業員は、そんな事考えてないかもしれないけど、自分の住んでる街を気持ち良く整える素敵な仕事だとプライドを持ってタスクをこなして居るんじゃないかな。
剪定は邪魔な枝をただ伐るだけじゃなく、街の景観を維持する心意気を持ってほしい。
プライドが有ったら、いい加減な施工はやらないで欲しいし「俺がこの街をカッコ良くしてやるゼ」っていう心意気を持ってほしい。自分の仕事に自信を持ってほしい。
日本では全然違うけど、あのアメリカの田舎町のワーカーは、多分発注者もその作業に景観維持の意識があるし、適切な発注やタスクをこなせる企業に依頼していると思う。
特にいい加減な輩が多い北海道は、コッコーショウとか開発局が、そういう意識を持ってないから、それにぶら下がる企業も「伐ればイイ」って業者が儲かるシステムだな。
車で道路を走ってても、ちゃんとした街路樹を見かけることがあまり無い。
飛び飛びに空いた浸透升や、ライオンズテールに成るであろう幹しか残ってないボッコの幹とか、明らかに受けてない樹皮がめくれた伐り口とか、走っててイヤな気持ちになる道路が沢山ある。
街の景観維持なんてこれっぽっちも見受けられない。
街路樹の意味があるのだろうか?
だいたい街路樹に相応しい木も植えられてないけどね。
文句が来たから、もう文句言われないように、手っ取り早くバッサリ逝くんだろうな。 業者だって景観を求めてない発注者なら、仕事が早く終わって儲かるように、バッサリ逝くいい加減な仕事になっちゃうんだろうな。
発注者だって、施工前中後の写真だけで判断するんだろうは。
少なからず街を愛している人は居ると思うが、思いたいが、
実際は行政も企業も作業者も市民も街を愛してないんだろうね。
そんな街で育った子供は、街に美しさを求めないだろうね。
美しい街を意識することは無いだろうね。
人工的なテクノロジーとかしか見えてないだろうね。
人工的な匂いを出してVRを使った森林浴とかしちゃうんだろうね。
美しい街の景観を維持しようと思ってないヤツが、思ってない儲け主義の業者に発注し、 作業を楽しいと思わない人が、美しい街を作れる訳がない。
除雪も剪定も、一度に完璧に美しくなんて出来ないよ。
楽しいタスクをこなしてたら、そのうち美しい仕事になるんじゃないか。
普段から美しい仕事を心がけてないと、楽しいタスクに成らないね。
美しくなるように心がけて計画して、タスクを現場で修正しながらやらないと。
第一の計画が片付けだけなら、伐れば良いだけだからね。
それが街を美しくするために必要なタスクなってないんだろう。
美しくするっていう計画を立ててないと、その場限りの面倒くさい作業だし、危ぶねぇ作業でも事故にならなかったらラッキーって、間違った作業慣行の経験則だけでいい加減な仕事を続けるんだろうな。
ただ雪かきしてても、そんなコトを考えてしまう。ビョーキだね。
2021年2月26日金曜日
ワカサギ釣り~!
1シーズンに2回程ワカサギの穴釣りに行く。もうコレがとっても楽しい。
人知れず?知ってるがアプローチがちょっと大変な、氷の張った水たまりまでワシワシ歩いて釣りに行く。
ワカサギが釣れる場所っていうか、釣り場と認識されてる所はどうも行く気がしない。
以前はそういう所じゃないとダメだと思っていた。
釣り場に集まる人がいない所は、釣れないと思われている。結構なことだ。
飛ぶ猛禽やカモたちを見ながら、
スノーシューでワシワシ歩き、
誰もいない雪原を独り占めできる。
この場所だから良いって訳では無いが、
この時期になると風も落ち着き、
天気のよい晴れ渡った青空と
真っ白な雪原を歩くだけでも気持ちイイ。
完璧に必ず釣れるって訳では無いが、
昔は人間の都合に合わせ、
どんなに荒天でも吹雪でも◯月○日に強行
自分の都合だけにスケジューリングして、
厳しい行のように釣道を極めるみたいな
アホなワカサギ釣りをしていた。
自然で遊ぶんだから、自然に合わせようと
条件や状況を見て楽しもうという
スタイルになってから、釣果も好調。
心底楽しくてこの時期ジッとしてられない。
ゲラやカラを眺めながら歩いて、場所を選んで穴を開けて、すぐに釣れ出す。
爆釣とまで行かないが、1回食べる分を1時間ちょっと釣って楽しむには充分。
終わった後は、温泉に浸かって解凍する。
昔は天ぷらしか知らなかったけど、天ぷらしか知らないのは勿体ない。
今は背割りにして一晩寒風干して喰うと、これが美味い。
魚の内蔵が生臭いと言う相方の為にやってみたら、コッチの方が美味い。
捌くととても脂が乗っていて、卵もそのまま干して、美味しく戴く。
いつぞやから、ワカサギ釣りはテントを張って、、みたいに思われてるが、そんなもの要らない。テントが必要なのは、厳しい状況で厳しい釣果だからであって、やっぱり人間の都合だけで考えるとそうなるだけであって、張るのも時間かかるし、第一美しい青天井の自然の中で楽しむには、逆にテントなんて台無しだと思うよ。
釣り方も食べ方も自然の中の遊び方も、判ってなかったんだよねぇ。
私の仲間内に自然ガイドさんがいて、良いビジネスを見つけた!って、
「きっと皆さんが自然を感じて溶け込めたら、観られたり感じられたりします」
小鳥や木を観て、運が良ければ野生動物にも会える。って唱い文句で、木の根元に座ってもらってジッとしたり森を歩いて感じてもらう。寒くなったら散策するって言う、経費も時間制約もなく、防寒も各自だし、せいぜいポットに入れた珈琲とビスケットだけ持って、ただ森の中を色んな話をして歩くだけ。
そして何も出会えなかったら「自然に受け入れてもらえなかったですね。結構難しいんですよ」って、でもそのお客さんは翌年もその翌年もリピーターで来てくれる。
お客さんは皆満足している。その不自由で厳しい状況を楽しんでくれる。
運良くエゾリスやキツネに出会えたら、もう大喜びみたいで、また来年も来ます!って リピーターになる。
自然で遊ぶとしたら、結果が担保されてなくても、自分で満足しようとするから、自分たちが作為的に何かをすることは無い。天気が悪かったら場所を変えていい案配の所に連れて行けば良い。
もちろんそのガイドさんの魅力が有ってこそで、自然に中で遊ぶ為に作為的に用意したり状況を均一化したり、結果を担保するのはオカシイことだからね。
北海道の大自然を感じてもらう、ローインパクトな、得られるコトは自分の頭の中で構築する。良い商売だなぁ!
一方ワカサギ釣りツアーって言って、アホなツアーをやってる人も居る。
どんな厳しい状況でも、事前に張っておいたテントに向かい、釣れなかったらお土産でワカサギを渡すって、ガッカリだ。
そのワカサギだって、事前に自分で釣りに行ってストックしておく。
別に養殖でも買ったものでもなく、ソコに生きてる魚たちを、一方的な消費で、漁で仕入れた搾取した自然。それをお土産で渡す。
渡された担保されたお土産って貰って嬉しいのかね?
だいたいそれはもうそれは釣りではないね。
釣れなかったら、そういうモンだよって言い切れない自信の無さ。
それが平気で北海道の自然を楽しむ!とか言ってるから腹が立つ!
釣りは、釣れなくても釣りだ!って思ってもらう方がよほど健全だけど、
自分の商売として自然を喰いものにして搾取している。
早晩破綻するだろうけどね。
破綻したら別のエリアで搾取を繰り返すんだろうね。
結果ありきで自分の為に自然を搾取する。
開発局やドーコンと一緒だね。
北海道の自然は、上げ膳据え膳で楽しむものじゃないよ。
何とかランドで、ジェットコースターに乗るアクティビティとは全然別物だよ。
もう自然ガイドとか言わないで欲しい。
一方的な消費と、自分のオマンマの為に、SDGsとかサスティナブルとか自然にやさしいみたいなウソをつくんじゃないよ!情けない。
自然の中で自分のスタイルを見つけて、自然と巧く折り合いをつけて、ローインパクトでワイズユースな恩恵を受けるなら、とても魅力的だと思うが、一方的な消費や、誰かの尻馬に乗って大義無いまま儲けに走る、似非自然ガイドや特殊伐採は居なくなれば良い。
人知れず?知ってるがアプローチがちょっと大変な、氷の張った水たまりまでワシワシ歩いて釣りに行く。
ワカサギが釣れる場所っていうか、釣り場と認識されてる所はどうも行く気がしない。
以前はそういう所じゃないとダメだと思っていた。
釣り場に集まる人がいない所は、釣れないと思われている。結構なことだ。
飛ぶ猛禽やカモたちを見ながら、
スノーシューでワシワシ歩き、
誰もいない雪原を独り占めできる。
この場所だから良いって訳では無いが、
この時期になると風も落ち着き、
天気のよい晴れ渡った青空と
真っ白な雪原を歩くだけでも気持ちイイ。
完璧に必ず釣れるって訳では無いが、
昔は人間の都合に合わせ、
どんなに荒天でも吹雪でも◯月○日に強行
自分の都合だけにスケジューリングして、
厳しい行のように釣道を極めるみたいな
アホなワカサギ釣りをしていた。
自然で遊ぶんだから、自然に合わせようと
条件や状況を見て楽しもうという
スタイルになってから、釣果も好調。
心底楽しくてこの時期ジッとしてられない。
ゲラやカラを眺めながら歩いて、場所を選んで穴を開けて、すぐに釣れ出す。
爆釣とまで行かないが、1回食べる分を1時間ちょっと釣って楽しむには充分。
終わった後は、温泉に浸かって解凍する。
昔は天ぷらしか知らなかったけど、天ぷらしか知らないのは勿体ない。
今は背割りにして一晩寒風干して喰うと、これが美味い。
魚の内蔵が生臭いと言う相方の為にやってみたら、コッチの方が美味い。
捌くととても脂が乗っていて、卵もそのまま干して、美味しく戴く。
いつぞやから、ワカサギ釣りはテントを張って、、みたいに思われてるが、そんなもの要らない。テントが必要なのは、厳しい状況で厳しい釣果だからであって、やっぱり人間の都合だけで考えるとそうなるだけであって、張るのも時間かかるし、第一美しい青天井の自然の中で楽しむには、逆にテントなんて台無しだと思うよ。
釣り方も食べ方も自然の中の遊び方も、判ってなかったんだよねぇ。
私の仲間内に自然ガイドさんがいて、良いビジネスを見つけた!って、
「きっと皆さんが自然を感じて溶け込めたら、観られたり感じられたりします」
小鳥や木を観て、運が良ければ野生動物にも会える。って唱い文句で、木の根元に座ってもらってジッとしたり森を歩いて感じてもらう。寒くなったら散策するって言う、経費も時間制約もなく、防寒も各自だし、せいぜいポットに入れた珈琲とビスケットだけ持って、ただ森の中を色んな話をして歩くだけ。
そして何も出会えなかったら「自然に受け入れてもらえなかったですね。結構難しいんですよ」って、でもそのお客さんは翌年もその翌年もリピーターで来てくれる。
お客さんは皆満足している。その不自由で厳しい状況を楽しんでくれる。
運良くエゾリスやキツネに出会えたら、もう大喜びみたいで、また来年も来ます!って リピーターになる。
自然で遊ぶとしたら、結果が担保されてなくても、自分で満足しようとするから、自分たちが作為的に何かをすることは無い。天気が悪かったら場所を変えていい案配の所に連れて行けば良い。
もちろんそのガイドさんの魅力が有ってこそで、自然に中で遊ぶ為に作為的に用意したり状況を均一化したり、結果を担保するのはオカシイことだからね。
北海道の大自然を感じてもらう、ローインパクトな、得られるコトは自分の頭の中で構築する。良い商売だなぁ!
一方ワカサギ釣りツアーって言って、アホなツアーをやってる人も居る。
どんな厳しい状況でも、事前に張っておいたテントに向かい、釣れなかったらお土産でワカサギを渡すって、ガッカリだ。
そのワカサギだって、事前に自分で釣りに行ってストックしておく。
別に養殖でも買ったものでもなく、ソコに生きてる魚たちを、一方的な消費で、漁で仕入れた搾取した自然。それをお土産で渡す。
渡された担保されたお土産って貰って嬉しいのかね?
だいたいそれはもうそれは釣りではないね。
釣れなかったら、そういうモンだよって言い切れない自信の無さ。
それが平気で北海道の自然を楽しむ!とか言ってるから腹が立つ!
釣りは、釣れなくても釣りだ!って思ってもらう方がよほど健全だけど、
自分の商売として自然を喰いものにして搾取している。
早晩破綻するだろうけどね。
破綻したら別のエリアで搾取を繰り返すんだろうね。
結果ありきで自分の為に自然を搾取する。
開発局やドーコンと一緒だね。
北海道の自然は、上げ膳据え膳で楽しむものじゃないよ。
何とかランドで、ジェットコースターに乗るアクティビティとは全然別物だよ。
もう自然ガイドとか言わないで欲しい。
一方的な消費と、自分のオマンマの為に、SDGsとかサスティナブルとか自然にやさしいみたいなウソをつくんじゃないよ!情けない。
自然の中で自分のスタイルを見つけて、自然と巧く折り合いをつけて、ローインパクトでワイズユースな恩恵を受けるなら、とても魅力的だと思うが、一方的な消費や、誰かの尻馬に乗って大義無いまま儲けに走る、似非自然ガイドや特殊伐採は居なくなれば良い。
2021年2月25日木曜日
スローイングノット
一般的っていうか、モンキーフィストって言われる事が多いけど、
スローイングノットとモンキーフィストは違うと思っている。
モンキーフィストって意味は「猿の拳」で
小さな固まりや束がサルのコブシみたいで
末端をグリップし易く切っ掛けにする結び。
最近のジッパータグは専用の製品があるが
昔はそんなプラスティックは無かったし、
コートのボタンや引っ掛かりを付ける為に
細いヒモで結んだ固まりを使っていた。
何かの引っ掛かりや編み込んだカゴなどの
基本となる装飾系のノット。
だが末端を重りにして投げやすくするには
今はモンキーフィストじゃなく、
スローイングノットの方が機能的で
効果的なので使われることが多い。
もはやモンキーフィスト自体を
スローイングノットって
思われているフシもある。
ABoK #2202
まあ呼び方なんて何でもイイが、例えばどこかの講習で「これはモンキーフィストです」って紹介され、はぁ〜、便利ねって名前覚えたけど、手法を忘れ、ウェブで検索したら、装飾系結びが数多く出てきて、パラコードを使ったキーホルダーとかになっちゃう。
以前講座で私もモンキーフィストって言っていて(ちょっと面白いしね)ある方が結び方を忘れて検索したら全然違うのが出てくるから、俺がウソ教えたみたくなって、その知識を切り替えるのがとても難儀だった。頭の固いヤツだったなぁ。
確かに髭ヅラのオッサンが言うことより、インターネットの方が信憑性がある。
そこでシツコク調べてみると、いろいろ面白いことが判り、ソレ以来スローイングノットって言ってるし、微妙に結び方もアップデートして、善き方向になっていると思う。
皆に紹介するとコッチの方がイイって言われるし、もはや余計な知識よりこの結びだけの方が良いから、最近はコレしか伝えてない。
そういえばモンキーフィストって言ってたのは、ある筋の方々だけだなぁと、実際巻いて持っちゃう人はそちらの筋の方がなぁと判断できる。
Technical Guide:1でも巻いてるし、そういう人も居るだろうけど、でも絶対に巻かない方が効果的だと思う。
トラディショナルではそうかもしれないし、そうやって伝えてるかもしれないけど、仕事でより効果的なら違う方法を紹介する。でも選択するのは各自だけどね。
これは元々リバーレスキューの、
スローロープを投げる時に、巧くいかなくて
モチャモチャしてると流されて遠くなるから
直ぐさまセカンドショットに移行する必要が
ある時に効果的な持ち方のアレンジ。
リバーガイドさん達はみんなやってるし、
現場でも効果的だし、早いしキレイだし
巧く投げられる。
もはや使わない手は無い!って
ツリーワーカーにも勧めている。
トラディショナルではどうか知らないが
効果があるならその方が良い。
だいたいモンキーフィストは、固まりにして切っ掛けやグリップしやすいって言う目的だから、固まりになっては都合が悪いオープンでは逆効果だと思うな。
オープンとかクローズって言うのも、結びの機能的にはモンキーフィストならクローズしかないでしょ。しかもオープンもクローズも、本来の行程と違うから、もはやモンキーフィストと呼べないと思うな。
そうロジック的に違う結びは、似ていても本来の結びの目的とは違うから、名称も違った方が整理しやすい。今までモンキーフィストって言ってたとしても、頑に言い続けるより、そのアレンジでこの方が良いよ。そしてその場合はコウ呼んだ方が私は好きだ。
ってある方に教えられた。その人は善し悪しじゃなく、好き嫌いで考えるから正解でない、って言ってたけど、共感するところが多くソレ以来私も、コレが正解!と言わずに、好き嫌いって言うようにしている。
樹木の架設アンカーでロープをスローする場合に、スズカケとかのツルツルの樹皮ならイイけど、モンキーフィストは荷重が抜けると樹皮に引っ掛かりやすく、上手くパラパラ落ちてこないと思う。
そして大嫌いなキンクが生まれロープに負担がかかると思う。
モンキーフィストを使うのは個人の自由だけど、知らないでモンキーフィストだ!って言ってる人はちょっと違うと思うな。
力が無くってチビで要領の悪いオレに相応しいのは、モンキーフィストじゃなくスローイングノットだな。
もの凄くちょっとしたコトだけど、一度覚えると色々他の場面でも使えるし、少しでも効率良く省力化できればその方が良い。
まだまだ過渡期のツリーワークは、絶えず考えて進化しアップデートした方が良い。
だからワークショップやプラクティスで検討するし、そういう仲間と会ったら意見交換するし、やってみないと判らないね!って次の目標が出来たりする。
完成されたものをしっかりと提示するのは性に合わないな。
間違ったらゴメンねって、絶えず修正して、自分の善き方向に向いたい。
トラディショナルを知っていた方が良いと思うけど、覚えることが一杯で、忘れてしまうことが多い場面では、もはやトラディショナルは紹介しない方が良いかも?
トラディショナルにこだわり過ぎて、もはや現在のタスクに相応しくない場合は端折る。
歴史を紹介するよりOJTとして有効な方法を紹介する。
スローイングノットとモンキーフィストは違うと思っている。
モンキーフィストって意味は「猿の拳」で
小さな固まりや束がサルのコブシみたいで
末端をグリップし易く切っ掛けにする結び。
最近のジッパータグは専用の製品があるが
昔はそんなプラスティックは無かったし、
コートのボタンや引っ掛かりを付ける為に
細いヒモで結んだ固まりを使っていた。
何かの引っ掛かりや編み込んだカゴなどの
基本となる装飾系のノット。
だが末端を重りにして投げやすくするには
今はモンキーフィストじゃなく、
スローイングノットの方が機能的で
効果的なので使われることが多い。
もはやモンキーフィスト自体を
スローイングノットって
思われているフシもある。
ABoK #2202
まあ呼び方なんて何でもイイが、例えばどこかの講習で「これはモンキーフィストです」って紹介され、はぁ〜、便利ねって名前覚えたけど、手法を忘れ、ウェブで検索したら、装飾系結びが数多く出てきて、パラコードを使ったキーホルダーとかになっちゃう。
以前講座で私もモンキーフィストって言っていて(ちょっと面白いしね)ある方が結び方を忘れて検索したら全然違うのが出てくるから、俺がウソ教えたみたくなって、その知識を切り替えるのがとても難儀だった。頭の固いヤツだったなぁ。
確かに髭ヅラのオッサンが言うことより、インターネットの方が信憑性がある。
そこでシツコク調べてみると、いろいろ面白いことが判り、ソレ以来スローイングノットって言ってるし、微妙に結び方もアップデートして、善き方向になっていると思う。
皆に紹介するとコッチの方がイイって言われるし、もはや余計な知識よりこの結びだけの方が良いから、最近はコレしか伝えてない。
そういえばモンキーフィストって言ってたのは、ある筋の方々だけだなぁと、実際巻いて持っちゃう人はそちらの筋の方がなぁと判断できる。
Technical Guide:1でも巻いてるし、そういう人も居るだろうけど、でも絶対に巻かない方が効果的だと思う。
トラディショナルではそうかもしれないし、そうやって伝えてるかもしれないけど、仕事でより効果的なら違う方法を紹介する。でも選択するのは各自だけどね。
これは元々リバーレスキューの、
スローロープを投げる時に、巧くいかなくて
モチャモチャしてると流されて遠くなるから
直ぐさまセカンドショットに移行する必要が
ある時に効果的な持ち方のアレンジ。
リバーガイドさん達はみんなやってるし、
現場でも効果的だし、早いしキレイだし
巧く投げられる。
もはや使わない手は無い!って
ツリーワーカーにも勧めている。
トラディショナルではどうか知らないが
効果があるならその方が良い。
だいたいモンキーフィストは、固まりにして切っ掛けやグリップしやすいって言う目的だから、固まりになっては都合が悪いオープンでは逆効果だと思うな。
オープンとかクローズって言うのも、結びの機能的にはモンキーフィストならクローズしかないでしょ。しかもオープンもクローズも、本来の行程と違うから、もはやモンキーフィストと呼べないと思うな。
そうロジック的に違う結びは、似ていても本来の結びの目的とは違うから、名称も違った方が整理しやすい。今までモンキーフィストって言ってたとしても、頑に言い続けるより、そのアレンジでこの方が良いよ。そしてその場合はコウ呼んだ方が私は好きだ。
ってある方に教えられた。その人は善し悪しじゃなく、好き嫌いで考えるから正解でない、って言ってたけど、共感するところが多くソレ以来私も、コレが正解!と言わずに、好き嫌いって言うようにしている。
樹木の架設アンカーでロープをスローする場合に、スズカケとかのツルツルの樹皮ならイイけど、モンキーフィストは荷重が抜けると樹皮に引っ掛かりやすく、上手くパラパラ落ちてこないと思う。
そして大嫌いなキンクが生まれロープに負担がかかると思う。
モンキーフィストを使うのは個人の自由だけど、知らないでモンキーフィストだ!って言ってる人はちょっと違うと思うな。
力が無くってチビで要領の悪いオレに相応しいのは、モンキーフィストじゃなくスローイングノットだな。
もの凄くちょっとしたコトだけど、一度覚えると色々他の場面でも使えるし、少しでも効率良く省力化できればその方が良い。
まだまだ過渡期のツリーワークは、絶えず考えて進化しアップデートした方が良い。
だからワークショップやプラクティスで検討するし、そういう仲間と会ったら意見交換するし、やってみないと判らないね!って次の目標が出来たりする。
完成されたものをしっかりと提示するのは性に合わないな。
間違ったらゴメンねって、絶えず修正して、自分の善き方向に向いたい。
トラディショナルを知っていた方が良いと思うけど、覚えることが一杯で、忘れてしまうことが多い場面では、もはやトラディショナルは紹介しない方が良いかも?
トラディショナルにこだわり過ぎて、もはや現在のタスクに相応しくない場合は端折る。
歴史を紹介するよりOJTとして有効な方法を紹介する。
2021年2月24日水曜日
謝罪
私のような個人事業主はケガしたらオシマイ。
まったく稼ぎが無くなってしまう。
だから稼ぎが無くならないように、方策を考えて行動する。
そして稼ぎが無くなった時の場合も考えて行動する。
何かの事故が起きたとしても、
発注者が行政だったりしたら、
事故を起こした事実を否定するように
キレイごとの原因究明とかして
「今後の対策」を用意する。
それも書類上体裁が整っていれば良い。
二度とこういうことは起さないって
心に誓って、
謝罪して、
同じことを繰り返す。
そして現場も担当が変わって
無かったことにする。
担当者はババ引いたくらいの意識で
配置換えになって、
のうのうと退職まで居座る。
公共事業は特に、首のすげ替えが簡単だ。
スーツ着た人間が、ハゲ散らかして、頭を下げる。
反省は要因を突き止めて、ソレを改善してからこそ、じゃないの。
黒スーツでいくら厳格に見えたって、下向いて舌を出してるかもよ。
公務員は重大な事故が起きたとしても、個人に責任を追及できない安穏なシステムだ。
一方現場はヘタしたら死ぬし、死ななくても一生働けなくなる可能性がある。
事故じゃなくても、エロ教師を辞めさせることすら出来ないからね。
公人は公人としての役割があり、公人として配置転換で責任はとってるかもしれないが、その公人もエロは私的なことじゃネェの?
定年で辞めたらただの個人になるが、公人を実績で引きずってるから天下りだろ!
民間はそういう信用をなくしたら、殆どもうオシマイだからね。
事故を起こしたら、キレイごとじゃなく、ちゃんと原因究明して、その要因を検討して、現場で働く同僚や現場の有識者がちゃんと意見を言える環境の上で、お抱えの有識者や密室政治じゃなく公開して、方策を練って、指針を出さなきゃなら無いんじゃないか。
その時に発注者にも原因があったら、責任が派生したってイイんじゃないか。
でもただ頭を下げるだけじゃ責任にならないよ。
ただの対策じゃないよ。その事実に対しての策じゃなく、善き方向に導く方策だよ。
エロ教師は、いろいろちょん切る責任があると思うよ。
ドコに原因があるかを正しく検討して方策を示さないとね。
原因がクリアにならなければ、二度と無いようにしても、事故は繰り返えされるね。
大きな事故じゃなくても、落とした枝が民家の壁を擦ったり、引きずられて腕の皮がむけたり、アンポンタンなミスでも、その事実を隠しても、二度と起さないと心に誓っても、必ず事故は繰り返される。
幾ら心に誓っても、完璧な対策をしても、謝罪しても、本当の要因が何処にあるかに目をつむっていては、事故は無くならないね。
まったく稼ぎが無くなってしまう。
だから稼ぎが無くならないように、方策を考えて行動する。
そして稼ぎが無くなった時の場合も考えて行動する。
何かの事故が起きたとしても、
発注者が行政だったりしたら、
事故を起こした事実を否定するように
キレイごとの原因究明とかして
「今後の対策」を用意する。
それも書類上体裁が整っていれば良い。
二度とこういうことは起さないって
心に誓って、
謝罪して、
同じことを繰り返す。
そして現場も担当が変わって
無かったことにする。
担当者はババ引いたくらいの意識で
配置換えになって、
のうのうと退職まで居座る。
公共事業は特に、首のすげ替えが簡単だ。
スーツ着た人間が、ハゲ散らかして、頭を下げる。
反省は要因を突き止めて、ソレを改善してからこそ、じゃないの。
黒スーツでいくら厳格に見えたって、下向いて舌を出してるかもよ。
公務員は重大な事故が起きたとしても、個人に責任を追及できない安穏なシステムだ。
一方現場はヘタしたら死ぬし、死ななくても一生働けなくなる可能性がある。
事故じゃなくても、エロ教師を辞めさせることすら出来ないからね。
公人は公人としての役割があり、公人として配置転換で責任はとってるかもしれないが、その公人もエロは私的なことじゃネェの?
定年で辞めたらただの個人になるが、公人を実績で引きずってるから天下りだろ!
民間はそういう信用をなくしたら、殆どもうオシマイだからね。
事故を起こしたら、キレイごとじゃなく、ちゃんと原因究明して、その要因を検討して、現場で働く同僚や現場の有識者がちゃんと意見を言える環境の上で、お抱えの有識者や密室政治じゃなく公開して、方策を練って、指針を出さなきゃなら無いんじゃないか。
その時に発注者にも原因があったら、責任が派生したってイイんじゃないか。
でもただ頭を下げるだけじゃ責任にならないよ。
ただの対策じゃないよ。その事実に対しての策じゃなく、善き方向に導く方策だよ。
エロ教師は、いろいろちょん切る責任があると思うよ。
ドコに原因があるかを正しく検討して方策を示さないとね。
原因がクリアにならなければ、二度と無いようにしても、事故は繰り返えされるね。
大きな事故じゃなくても、落とした枝が民家の壁を擦ったり、引きずられて腕の皮がむけたり、アンポンタンなミスでも、その事実を隠しても、二度と起さないと心に誓っても、必ず事故は繰り返される。
幾ら心に誓っても、完璧な対策をしても、謝罪しても、本当の要因が何処にあるかに目をつむっていては、事故は無くならないね。
2021年2月23日火曜日
アスリートの休息
まったく厳しい状況で、エクストリームな極限で、岩を登るアスリートが居る。
凄い!大したモンだ!誰も行けなかったルートを開発した!既存のタイムを削った!
凄いことだと思う。
自分の限界まで100%力を振り絞って、
ソコから更にあわよくば120%の力を
引き出すという挑戦を出来る人は
本当に尊敬しちゃう。素敵。
でも俺には出来ない。
怠け者でズボラで直ぐ諦める。
出来なくても良いって思っちゃてる。
そういう諦めが先に立つ人には、
その挑戦の意味が理解できない。
自分の気持ちに充実感を与えるのかなぁ?
アドレナリンが気持ち良くなるのかな?
エンドルフィンで訳無くなってるのかな?
俺は休む時4系統とか取っちゃうもんね。
いずれにしても自分が出来ないことを成し遂げたいと思う人の気持ちが判らないから、考えても仕方ないことだけど、これだけは言える。
エクストリームな挑戦をする人だって、毎日は出来ないでしょ。
そんな厳しい状況を常に可能にすることは無理でしょ。
?無理じゃないのかな?
数々の極限で、名を挙げても、さらに挑戦し続ける人も居るけど、多くは行方不明になったり、事故を起こしたり、死んだりしている気がする。
死んで伝説化する人も居る。
ある人がそう言う伝説に成りたいって言ってるのを聞いたとき、心底ゾッとした。
命を張って際どいことを成し遂げるのは、勲章かのか?
そんな勲章要らネェな。
欲しいとも思わないけど、その辺りがそういう人との違いなのかもしれない。
判かんネェな。
ハレとケ、ってのが有るけど、何時でもハレで居たくないし、ケを充実させてないとハレが活きないと思う。いつもハレならハレに麻痺して、感覚がオカシク成るんじゃないか?その辺は、デザイナーなのかもしれないが、客体的にモノを見ることが出来なくなると、一般にアピールするポイントがブレてボヤケてしまう。
絶えず客体的にモノを観る感覚を失いたくない。じゃないとオマンマの食い上げだ。
アスリートが際どい挑戦をするために、日々の鍛錬っていうか、しこたま練習するとか、失敗を繰り返して成功の近道を探すような行為が好きなのかもしれない。
そういう練習するアスリートを観てるのが好きなのかもしれない。
だから簡単に頑張れとか言いたくない。スポーツ観戦があまり好きじゃないのは簡単に無責任に頑張れって言いたくない。
お前に言われなくてもきっと死ぬ程頑張ってるよ。頑張ってるから人目につく結果があるんだろうと思ってしまう。
でもその声援が力になったりするらしいが。
そういう姿を見て、いっちょ俺も真似てみようという感覚が判らない。
以前にアスリート出身の伐採屋が居て、その人は恐ろしく早く、凄くとんでもない姿勢で樹上に到達する。まさにその人しか出来ないオンリーワンの技術だと思う。
四肢を伸ばして、ヒールトゥロックとかで、文字通り(ランヤも何も無く)駆け上がる。 そして樹上でやっとワークポジショニングを使う。手をフリフリしている。
出来ればワークポジショニングランヤードも使いたくないらしい。
使わないで伐りたいらしい。
片方で枝を捕まえて、両足で突っ張って、トップハンドルチェンソーを、ギリギリ手を伸ばして先っちょでチョンと伐りたいらしい。
その極限を日常で味わいたいらしい。
いつも120%の力を出したいらしい。
神経も肉体もバリバリに緊張させて、突っ張って手足を延ばし、まるでボルダーのように登る。ソレはそれで凄いし眺めて気持ちがイイ。
俺はソウしようとも出来るとも思わないけど、それを観ている人で、マネしようとして頑張る人も居るんだよな。信じられない。
出来る人はやってもイイけど、そういう人を見て自分も出来るって思わない方が良いよ。凄く特殊な人だからね。
やっぱり木の上では、両手はフリーになって、手ノコが引けるストロークを確保して、安定化させて冷静になって視野を広げてから、伐る動きをしたいね。
唯一の成功に(成功だと思ってることに)命をかけて、男を上げたくないね。
絶えず失敗することを意識したいね。ケを充実させたいね。
仕事はいつも40%くらいの力でやりたいね。
もしもの場合に備えて50%以上の力を残してタスクをこなしたいね。
50%以上の力を残してタスクをこなせるように、システムを構築したいね。
アスリートが極限に頑張ってることより、休む時の気が抜けた姿勢がイイね。
普段から出来るコトを、連続させて確実にやりたいね。
凄い!大したモンだ!誰も行けなかったルートを開発した!既存のタイムを削った!
凄いことだと思う。
自分の限界まで100%力を振り絞って、
ソコから更にあわよくば120%の力を
引き出すという挑戦を出来る人は
本当に尊敬しちゃう。素敵。
でも俺には出来ない。
怠け者でズボラで直ぐ諦める。
出来なくても良いって思っちゃてる。
そういう諦めが先に立つ人には、
その挑戦の意味が理解できない。
自分の気持ちに充実感を与えるのかなぁ?
アドレナリンが気持ち良くなるのかな?
エンドルフィンで訳無くなってるのかな?
俺は休む時4系統とか取っちゃうもんね。
いずれにしても自分が出来ないことを成し遂げたいと思う人の気持ちが判らないから、考えても仕方ないことだけど、これだけは言える。
エクストリームな挑戦をする人だって、毎日は出来ないでしょ。
そんな厳しい状況を常に可能にすることは無理でしょ。
?無理じゃないのかな?
数々の極限で、名を挙げても、さらに挑戦し続ける人も居るけど、多くは行方不明になったり、事故を起こしたり、死んだりしている気がする。
死んで伝説化する人も居る。
ある人がそう言う伝説に成りたいって言ってるのを聞いたとき、心底ゾッとした。
命を張って際どいことを成し遂げるのは、勲章かのか?
そんな勲章要らネェな。
欲しいとも思わないけど、その辺りがそういう人との違いなのかもしれない。
判かんネェな。
ハレとケ、ってのが有るけど、何時でもハレで居たくないし、ケを充実させてないとハレが活きないと思う。いつもハレならハレに麻痺して、感覚がオカシク成るんじゃないか?その辺は、デザイナーなのかもしれないが、客体的にモノを見ることが出来なくなると、一般にアピールするポイントがブレてボヤケてしまう。
絶えず客体的にモノを観る感覚を失いたくない。じゃないとオマンマの食い上げだ。
アスリートが際どい挑戦をするために、日々の鍛錬っていうか、しこたま練習するとか、失敗を繰り返して成功の近道を探すような行為が好きなのかもしれない。
そういう練習するアスリートを観てるのが好きなのかもしれない。
だから簡単に頑張れとか言いたくない。スポーツ観戦があまり好きじゃないのは簡単に無責任に頑張れって言いたくない。
お前に言われなくてもきっと死ぬ程頑張ってるよ。頑張ってるから人目につく結果があるんだろうと思ってしまう。
でもその声援が力になったりするらしいが。
そういう姿を見て、いっちょ俺も真似てみようという感覚が判らない。
以前にアスリート出身の伐採屋が居て、その人は恐ろしく早く、凄くとんでもない姿勢で樹上に到達する。まさにその人しか出来ないオンリーワンの技術だと思う。
四肢を伸ばして、ヒールトゥロックとかで、文字通り(ランヤも何も無く)駆け上がる。 そして樹上でやっとワークポジショニングを使う。手をフリフリしている。
出来ればワークポジショニングランヤードも使いたくないらしい。
使わないで伐りたいらしい。
片方で枝を捕まえて、両足で突っ張って、トップハンドルチェンソーを、ギリギリ手を伸ばして先っちょでチョンと伐りたいらしい。
その極限を日常で味わいたいらしい。
いつも120%の力を出したいらしい。
神経も肉体もバリバリに緊張させて、突っ張って手足を延ばし、まるでボルダーのように登る。ソレはそれで凄いし眺めて気持ちがイイ。
俺はソウしようとも出来るとも思わないけど、それを観ている人で、マネしようとして頑張る人も居るんだよな。信じられない。
出来る人はやってもイイけど、そういう人を見て自分も出来るって思わない方が良いよ。凄く特殊な人だからね。
やっぱり木の上では、両手はフリーになって、手ノコが引けるストロークを確保して、安定化させて冷静になって視野を広げてから、伐る動きをしたいね。
唯一の成功に(成功だと思ってることに)命をかけて、男を上げたくないね。
絶えず失敗することを意識したいね。ケを充実させたいね。
仕事はいつも40%くらいの力でやりたいね。
もしもの場合に備えて50%以上の力を残してタスクをこなしたいね。
50%以上の力を残してタスクをこなせるように、システムを構築したいね。
アスリートが極限に頑張ってることより、休む時の気が抜けた姿勢がイイね。
普段から出来るコトを、連続させて確実にやりたいね。
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