最近訳あって、レンダリングイラストを描いている。
昔は説明の為に、ボイラーとか携帯電話の画を描いてたのが役に立ってる。
ってか、イラストレータの外注しようにも、やってくれる人がいなかった。
イラストって、センスのイイ人やデッサンがしっかりできる人は、頭の中で想像して描けるんだろうけど、センスも画力も無いから、でも理屈やどう見えたら良いって考えると、それなりのやり方がある。
イラストレーターじゃなく、アートディレクターだね。
特にニッチな需要には
ニッチな需要を理解する必要がある。
雑誌を見ていても、
こいつギター弾いたこと無いなとか、
バイク乗ったこと無いなって思える
へなちょこイラストを見ることがよくある。
その道はその道のプロっていうか、
パソコン使えてデジカメあれば出来る!
ってものではない。
最近チラシやフライヤーを見ても、
入っていれば良い的な
証拠写真みたいなフォトが多い。
それが良く見えること感じられることがチラシ写真の第一の目的なのに、カメラが好きとか扱えるだけでクソ不味そうに見える料理とか観ると
ガッカリする。
その写真が良いと判断すら出来ないクライアントもその程度だから、自分の作った料理が素晴らしければそれでイイかもしれないが、不味そうに見えるのは目的を失ってる。そこに入っていれば良いって写真なら入れない方がイイんでないかい?
パソコンを操作できたって、レイアウトやデザインを理解していなかったら、言い訳的に入っていれば良いという情報なら、入れない方がイイんでないかい?
印刷屋にデザインは出来ないよ。そもそもデザインを要求されないモノは、デザインを必要としないモノだろうけどね。
パソコンが扱えるからって、テキトーに合成写真を作るのも、何だかな。
センスのある人が作った3Dや合成写真は気づかないものもあるけどね。
有る物を正確に見せるなら写真がイイけど、必要以外の情報を削除した形で、写真じゃ表現できないエレメントを削って、目的を強調しようと思ったら、レンダリングイラストになるんじゃないかな?
何か自分が使ってて、その良さを判っていれば、表現方法だって変わるよ。
これはセンスも画力も無い俺の言い訳だな。
とにかく、ここをもっと良く見せたいなっていうポイントがあるから、リアルよりよりリアルになるんだと思う。
描いてて面白かったり、どう表現したら良いかな?って考えながら描いてると、自分としては満足だね。
何とか特別教育とかガッコの教科書って、見る人の感情を意識してないよね。
入っていれば良いと言うか、文章の魅力が無いから画でゴマカしてるとか、間延びしたレイアウトや、何処からか持ってきたか、在るから使ったっていうショーモないイラストや写真が多い。伝えたい内容(なのか?)や情報を、入っていれば良いという括りで表現しないで欲しい。
読む気がしない。第一読むべき内容が無い。
ある本をある人に勧められ、コレで私たちは正しく特殊伐採をしてる!なんて主張してたけど、特殊な伐採しか出来ねぇんじゃないの?
表紙はアメリカ西海岸のレッドウッドの森と、トッピングカットを合成して、いかにもな感じに仕立て上げた合成写真なんかに辟易する。
そしてそれに写真クレジットの名前とか入れて、恥ずかしくないのかね?
第一もしこのようなトッピングカットなら、下に向ってタグラインを引っ張るのが、勧めているタスクとして相応しいのかね?
せっかく横に大きな木が有って、登ってるアンカーだって有るように見えるけど、ソコの付近に吊るべきじゃないの?それがセーフティじゃないの?
こういう写真を見て、こりゃ凄い!って感じるのは滑稽だね。
私はこういう主張には胡散臭さしか感じなんですけど。
改版とかしてるけど、相変わらず紙だけ立派でめくり難い地方都市の郷土の歴史書みたいな装丁だし、中身は何も変わってないし、著者の長年の蓄積・労力の結晶です。とか言われても、誰の何の為の金儲けの蓄積や労力なの?って思えてしまう。
私には、俺たちナンも判ってませんって主張しているようだな。カッコ悪い。
こういう言い訳的に凄く見せるイラストや合成写真なら入れない方が良い。
レンダリングイラストは、写真ではなく、アートでもない、いい案配の表現。
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