2015年10月25日日曜日

髪の長いキャプテン

縁がありRope That RescueのReed Thorne氏を
招いたワークショップのお手伝いに行ってきた。
参加した方には非常に申し訳ないと思っているが、
私は単なるお手伝いとしてもあまり役に立てなかった。
自分では自分がもどかしく、不甲斐無く、
そしてあまりにも幼稚だった。
こんな気持ちになったのは小学校以来かもしれない。


考え方や組み立てのセオリーは
去年経験してきたことが大きかったが、
今回はもっとベーシックなことに気がついた。
根拠を自分にすること。
冗長したシステムがスマートじゃないこと。
習うことと教わることの違い。
そして言葉の意味が分からなくても、
感じられる気持ち。

どうも詩的な表現が多い英語なのだろうが、
基礎など全く無く、洋楽で英語を学んだ身としては
行間と言うか「間」のニュアンスで勝手に解釈して
勝手に理解することが殆どで、
でもアナガチそれは間違っていない気がする。
《BGM:Extreme/More Than Words》
コミュニケーションというのは、言っている内容より、
気持ちが大事だということに改めて気がついた。
何処かに打開点があるかもしれないと、
判らなくても目を見て話しを聴く。
言葉が判らないのはお互い様だから
心を読もうとした方が良いに決まってる。
通訳の方の話しだけを聞くのはもったいない。
トランスレートとして内容は伝わるけど
感情を言語化する表現は難しいに決まっている。
フレンドリーに仲の良いそぶりをしても、
本人がしゃべっている時に聞きもせず、
手法に終始していれば、本質から遠ざかる。
まして言葉の意味が分からない者同士であれば、
その内容云々ではなく、感情のみが伝わってしまい
その歯痒さが内容にも反映してしまう。
Rapid Amigo!
There is no right answer.
How to construed it is.

方法を紹介しに来たのではなく、
考え方を伝えにきたのだ。と感じてしまった。
だから余計もどかしい。
写真やビデオには映らない「何か」を感じる力。
部分的に都合よく切り取ってしまっては、
危険極まりないと思う。
切り取ってしまった画はArtではなく
行動の指針がArtな表現になる。
《BGM:THE BLUE HEARTS/リンダリンダ》
観光ではイイトコ撮りの写真で良い。
派手にカッコつけたスナップではもったいない。
だから冗談にしろ、Never come back!なんて言われる。
アリゾナに来い!と彼は言うのだ。

自分の身に置き換えて、アリゾナではどうだったろうか?
レベルが高すぎて、ついて行くのがやっとだったけど、
殆どBad!良くてもBetterで本当に良かったと思う。
カリキュラムは日に日にレベルアップし、
遅くて失敗して、皆には本当に迷惑を掛けたと思うが、
学び取るものが多かったと思う。

今回リードのそばに居ることが多かったが
話しの中で盛んに、それはテキストに書いてある。
テキストにあることを伝えにきたんじゃないんだ!
という気持ちが込もっている言い方だった。
そして、音楽で通じるものがあったので、
完全なコピーバンドには興味が無い。
下手糞でもチャレンジングが良いと。
どうしてもスキルを求めたくなるのは日本人だからか?
日本ではスキルってハウツー的な意味あいが強いが、
スキルを踏襲してもそれはスキルにならない。
practice, trainning, discipline の差が難しい。

リードとの短い雑談で、
皆テキストを読んだのか?
多分No、自分も巧く理解できません。
それは残念だ。これからは私もバケーションだ。

一年遅れだけど、この会話が妙に心に引っ掛かり、
帰ってから、Pat Methenyを聴きながら
辞書とグーグル翻訳とWeblio辞書で
イディオムを切り貼りし、
どうしても判らない文節は友達に聞いて、
酷く合点がいったコト、自分ではこう解釈した。

[ 髪の長いキャプテンのヤリスギ病 ]

「Redundatitis」辞書にも出てないゼ。

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